リンゴの落下。

某人間の思考録。

7月の不定期更新「ねこまんま」

定期更新は定期的にあるからこそ、不定期が輝くということなんですよ。、

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煮干しが食べたくなります。

(この後「そうか。」と返信が来ました。)

 

ねこまんま、という言葉がありますね。

僕のイメージは味噌汁と白飯をかき混ぜて出来る、ご飯ですね。

調べたところ白飯に鰹節をかけたものもそう呼ぶ事があるらしいのですが、今回は前者で。

 

 

あと、いぬまんまというモノも見つけてしまったのですが見なかったことにしてください。

このブログの内容の8割くらいが意味を失くします。

 

 

 

 

さて「味噌汁と白飯をかき混ぜて作るねこまんま」というものの議論を始めましょう。

私、人前でやるな、とは言われておりました。

なぜなのか。

 

 

①ねこに与えるような食事をとるな

②味噌汁と白米をかき混ぜて食べるような行儀の悪い行動を取るな

の2パターンの「ダメ」が存在すると思います。

 

 

 

 

ウチでは②のパターンに該当するので、そういった事はしないようにと教えられていました。が。

田舎の祖母家では野良猫が大変多く、どころかその猫を狙う狸までいる田舎でした。猫も人も適当に生きる世界。素敵よ。

そんな祖母家では食べきれなかったご飯を味噌汁と混ぜて、庭に置いておく。猫が集まって食べる。良いね〜〜

ここで「猫の栄養価が」とか「玉ねぎを食わすな」とかそういったことはわかる。

多分その辺は食べる側が食べるものを選ぶと思うから安心してくれ。

 

注釈は置いといて、そういう半野生の猫たちと共に生きる祖母の家では、「ねこまんま」があることを理解し、そのモノがどういったものかもわかって猫たちに出している、ということです。ここには共生という世界が存在してるわけですね。

私たちが多く作ってしまって食べきれなかった分を捨てるんじゃなくて猫が食べる。

平和でいい世界です。それで良いのです。

 

 

 

 

でもきっと①みたいな発想は後々生まれている感覚なのでしょう。

ねこまんまに愛称的な感覚はあっても蔑称的な感覚は無いと思うのです。

ある種効率的でもありますからね、そういった方法。それって、そこに根付いた文化かもしれないし、家庭が違えば、地域が違えば、国が違えば、それが料理として成立しているものかもしれません。

それはそれで食べてみたい。というか感覚として雑炊のように考えればなにも違和感はないですねえ。

 

 

 

・・・・なんでこんなこと思考したんだろうか。

 

あらためて言いますが、ねぎは犬に与えてはいけませんよ。

猫は知らないけど、もし飼い猫に人間の食べ物を与える機会があるなら気をつけて、調べてから、あげてください。一緒に食べることはきっと楽しくて素敵だと思いますけど、そこに悲しみがあってはいけません。

 

 

 

 

 

この記事で言いたかったことってなんだろう。

少なくとも最低限の食のマナーは心得よう、とか?・・いや絶対違う。

・・犬や猫を大事に?・・・それも違う。

きっとねこまんま、に意味するナニカを知りたかったのでしょう。

 

こうして記事にして言葉を声に出して、文字にしてみることでわかることもあるんじゃないでしょうか。あるんです。ある!(自己肯定)

 

 

さーて次回はなにを考えようかしら。

なにもかも、いったんゼロの部分から考えてみるのが大事ですね。