ブログタイトルから引用することで、一期最終回みたいなノリを作る。
常々考えていること、に対する備忘録です。
これは記事と何も関係のない生姜醤油ラーメン。
今時すごい話なのが、
「端末そのものに情報が入っていない事が多い」
ってのです。
今流行りの、いやもう標準かのように扱われる、クラウドの技術を持ってすれば、今ハードウェアに何かデータを残しておくことは最早デメリットにすら扱われます。
切り口がいつもと違って筆(指)が進みづらいな。
要するに
「データがインターネット上にあって、端末ってのはそれにアクセスするモノ」
「それをスムーズにするのがアプリみたいなソフト」
ってコト。
すーーーーーごいよね
アカウント持ってれば、初めてソフトを入れる端末でもデータを一瞬で取り込んで表示する。
今スマホみたいな端末は「表示するモノ」として役立ってる。
電車の乗り換え情報、今起きている事件の状況、今日の運勢、etc.
これらの情報は端末そのものに入ってるデータじゃなくて、インターネットを介して収集されたもの。
端末そのものには保存されていないわけ。
じゃあ端末に入っててる大事なデータって何があるんだろう……
ってなったときに、スマホのCMとか見てみるといいんですねぇ。
そう、カメラ。
やっぱり自分の端末で自分が収めたデータってのはそういうところに落ち着くんですよね。
まぁどれもこれも結果クラウドにあげられたりするわけですが。
劣化したりもあるよね。
バグだった。iPhoneからGoogleフォトへ元画質で無限保存 修正へ - Engadget 日本版 https://t.co/hEaTqsTqG9 @engadgetjpより
— シャキシャキリンゴ (@kabotya_daisuki) 2019年10月26日
なーんだ、
こんな話もあった。
特に最近stadiaがクラウドゲーミングサービスとして注目されてきたけども、これがどこまですごくなるのかって期待大だ。
ゲームの話に着地させたかったわけじゃなくて、ゲームみたいな娯楽にもこういうのは採用されてて、とっても単純に扱えるものなんだよ
って話でした。
んで、こっからが最近の本題。
人間はどこまでいってもハードだから困ったなぁって思うのですよ。
肉体はハードウェアで、そこに教育というソフトウェアを組み込むことで、いっぱしの人間に育てられていく。
しかも人間はソフトウェアのインストールが異様に遅くて、ハードウェアも結構ボロい。
ハードウェアの存在にはハードウェアを足すことでしか補助出来ない。
人間もUSB挿したら一瞬でデータ使えるようになればいいのに。ていうかクラウドで情報共有できればいいのに……。
具体的にどう発信するのが形として効率的なのかあんまり分からないな……
脳に発信装置を取り付ける、とかそもそもエコーみたいな方法で受送信を行うとか?
人間がハードで良かった点はいくらでも外付けできること。
ソフトだと書き換えがいくらでもできる、みたいな点でいいけどね。
あー困った困った。
ハードが緻密すぎて度々バラしてメンテナンス出来ないのもよくないところよねー。